英語の知識はサンクコストとすべきか?

英語学習

サンクコストは、認知バイアス効果で使われる場合が多いですが、過去に払ってしまって、もはや取り戻すことができない費用のことを言います。埋没費用などとも言われます。こうした費用はこれから先の投資判断においては考慮するべきではない、と考えることが合理性のある判断とされます。

英語学習という埋没コスト

さて、サンクコストを英語学習や英語習得に対し適用して考えるとどうなるでしょうか。特に学生時代に長時間の学習時間と勉強という努力を払って、社会人になってほとんど英語とは無縁の生活をしている人などが問題になってくる概念ではないかと思います。

このように考えた場合、通常は学生時代の英語学習への努力を、既に払ってしまった学習コストとして考えるわけですから、これからどう頑張ってもモノにならない英語能力を身につけるような努力はしないほうが良い、という結論にするのが合理的な判断とされるでしょう。

この考え方はそれ自体では間違っているわけではありません。特に自分の行動に対してのコスト効率を重視したいタイプの方にとっては、そうであるとしか言いようがないことでもあります。

ただし、この考え方には前提としている仮定がいくつかあり、それが正しいとするためには前提とする仮定に、ある程度の蓋然性が必要であるはずです。

学習コスト=サンクコストはどれだけ正しいか?

過去の英語学習を埋没費用として考える裏側には、以下のような前提が隠れているはずです。

学習コスト=サンクコストが成立するための仮定

  • 英語学習の学習コストを回収するだけの便益(メリット)を得る見通しが得られない
  • 学習コストの効率性はリニアではない
  • 便益を得られるラインに至るまでのコストが存在する

それでは、それぞれについて少し検証してみましょう。

ネットの普及は便益を得やすい時代にした

まず、英語を習得することから得られる便益というのは、通訳や翻訳などの仕事をしてお金を稼ぐということだけではありません。生活のなかで英語を利用できるようになるということが最大の便益です。

過去に英語習得のための学習コストを払ったにもかかわらず、現在、英語とは無縁の生活をしている人々は、なぜそのような状況になっているかと言えば、日常の生活の中で英語と触れ合う機会がない、もしくは英語を目にすることが少ないからでしょう。

つまり普段、英語を使う能力を発揮する必要がないために、せっかく習得した英語の能力を失ってしまった。ないしは忘れたと思い込んでいるのでしょう。

ただそれもネットが日常生活に浸透し、スマホなどの機器もありふれたものになった結果として、英語圏の情報や文化に触れる機会も増えているはずであり、その気になりさえすれば英語圏のウェブサービスを利用することまでに何の障害も存在しないという状況になっています。

つまり現在は、自分の英語能力を使用して便益を得ることまでの距離というのは実質的に存在しなくなった時代に入っていると言えます。

また、ここで得られる便益は、ほとんど「英文を読む」というレベルだけでも獲得できるものであることにも注目してください。

学習コストの効率はリニア

そもそも多くの人が、相当の学習コストをかけたにもかかわらず、自分の英語能力をまったく評価していない状況というのは、どこから生まれるのかというと、英語能力に「実用レベル」のようなものを想定しているからではないかと思います。

つまり「実用レベル」に達することができれば、英語をバリバリ使って活躍できるけれど、自分はその「実用レベル」には達していないから、まったく英語を使うことができないのだ、と考えるわけです。

これは受験や資格などの合否が、一定のラインで区切られて決まるところからの発想があるのではないかと想像します。

しかし英語関連の受験や資格を取ろうとしている人であるならともかく、一般の人がそんな線引きを気にする必要はありません。特に言語習得においてはそうで、自分の英語能力を使うことに資格は要らないのです。

「実用レベル」が幻想であることが納得できない方は、こう想像してみてください。たとえば運転免許のような「資格」を考えてみましょう。座学や運転講習を受けて、ほとんど完璧な人がいるとします。この人がもし「アクセルとブレーキペダルの位置関係」がわからないとすると運転免許は取れないでしょう。そしてその人が、ペダルの位置関係の知識を学ぶことができれば運転免許は取れるはずです。

「資格」であるなら、どこかで線が引かれ、合否が決まります。そして言語習得はそのような「資格」ではないということです。学んだ量が多ければ、そのぶん使える量が増えるというだけの話なのです。

言語習得の学習コストには効率飽和点がある

生まれてから最初に学ぶ言語を母語と言います。母語とは別の言語を第2言語などと言いますが、母語と第2言語は意識される学習コストがかなり違います。マルチリンガルの人のように第3言語、第4言語となるとまたコストが下がってゆくのですが、いずれにしても第2言語を学ぶことが最もコストが高くなります。

ここで、学習コストに対する言語使用による便益を学習効率だと考えるものとします。すると学習初期は学習効率はリニアなのですが、どこかで飽和することになります。つまり学習コストをかけても得られる便益がそのぶんだけ上がらなくなるところがあるのです。

単純に英単語を暗記することを考えても、頻出語は覚えるだけ役に立ちますが、頑張って辞書を丸暗記しても、その対価はなかなか得られることはないということです。

これは学習者が、翻訳家や言語や文学の研究者になるのであれば飽和点は高いですが、一般の人はかなり低いところで飽和点に達すると言えるでしょう。AI技術の進展や社会環境の変化によっても具体的な点は変わるでしょうが、位置関係が変わるわけではないでしょう。

これまで普通の人にとっての効率飽和点がどの程度であるかはあまり議論されることはありませんでした。普通の人を定義することも、普通の人がどれくらい英語を学ぶべきか、普通の人がどこを当面のゴールとするべきか等です。

個人的な考えにはなりますが、普通の人の英語習得の効率飽和点は中高生が学んでいるレベルで既に到達していると考えます。普通の人がアクセスする英語はウェブ関連サービスにある英語であり、主に娯楽コンテンツにおける英語です。つまり難易度も要求される正確性もそれほど高いわけではないからです。

また普通の人にとって多くの場合はリーディングだけ用は足り、それ以上の能力は必要になった人が必要に応じて学習コストをかけたとしてもそれほど支障にはならないようにも感じます。

まとめ:過去の英語学習は埋没費用にあたらない

サンクコストはこれからの投資行動について考えているわけですが、以上のようなことを考えると、英語学習にかけた過去の学習コスト(学習時間や費用や勉強)は、必ずしもサンクコストとして考えるようなものではないと言えます。

つまり英語を使用することによる便益は、既に身につけている英語を使用すれば得られるものであり、そこに追加的なコストがかかるわけではありません。

また身につけた英語を使おうとしなければ、当然ながら英語を使用することによる便益は得られないわけで、これは使えるはずのものを使わないのはもったいない、ということでしかなく、これは認知バイアス効果というよりも事実を言っているだけです。

またこれからかける学習コストはせいぜい新しい単語を覚えるなどの程度のものであるはずです。英語ができないと自認している人が、効率飽和点に達するまでというのは覚え直しや、思い出すという作業であってコストとしては低く、その学習効率も良いと言っていいのではないかと思います。

特にリーディングだけに集中するという選択は、コスト効率を最大化するという意味にもなり、コスパを気にする人には受け入れやすいのではないかと考えます。

そうなると英語能力は埋没させておくより、いつでも使える状態にしておくことがポイントとなってくるでしょう。それにはある程度意識して英語と触れ合う環境に身を置いておく必要があり、これを言い換えれば、英文を読むことを習慣化するという話になります。

コメント